9月

 仕事編
 生活編
 自宅建て替え編


 9月、東京単身生活も3ヶ月が経過し、帰る「わが家」は練馬の部屋という感覚になっ
てきた。今、名古屋の自宅は建て替えがはじまって仮住まいへのお引っ越しも終わっ
たのだが、わたしにとっては「名古屋」そのものが仮となりつつある。べつに東京に骨を
埋めようとか、東京で一旗揚げようなんて思っているわけではないが、毎日の生活の
面では軸足が完全に東京に落ち着いた感がある。


 電話もメールも定期便ではなく、用事のあるときしか届かないしこちらも送らない。用
もないのに毎日の「ラブコール」を交わすほど若くはない。それだからかえって「里心」
がつかないのかもしれない。


 あいかわらず「外食はしない」「ウイークデーはお酒を呑まない」という私的な決めごと
は守っている。何度も書いてきたことだけど、自らを厳しく律するというような思いでして
いるわけではないし、ひもじさを我慢しているわけでもない。なんだかダラダラ・グズグ
ズになってしまうのがイヤなだけなのだ。


 おかげで、ごはんがおいしいし、帰りが遅く夕食から眠るまでの時間が短いという理
由もあってか、体重が増えたのは確実だ。2kgくらいのことだろうとは思うけれど、単身
生活をエンジョイしているといわれてしまうかもしれない。


 さて、9月の大きなできごとといえば「阪神タイガースの優勝」「はじめてのMRI検査」
そして、「異動の内示」というところか。

◆仕事編

早くも異動

 8月をほぼいっぱいに使って作り上げてきたあたらしい事業の画が、月初めにほぼ描
き上がりゴーサインが出た。早々に問い合わせも入ってきた。5日からあたらしいメンバ
ーがうちのディビジョンに加わり、かたちの上ではわたしの部下ということになった。そ
の体制で次の事業の画を描き始めていた矢先に第2クオーターのはじまる10月からの
体制変更と異動の内示がでた。


 当初、わたしに与えられ求められていたことと微妙に異なるフィールドに転籍すること
となった。もちろん不安もあるし戸惑いもあるのだが、与えられた環境でできるかぎりの
ベストを尽くすだけという思いでいるから、それ自体に異論はなかった。もっとも「宮仕
え」の身としては、それがイヤなら辞めるしかない。


 ただ、今まで右を見ていてといわれていたのが、ある瞬間から左を向きなさいと言わ
れたというほどのドラスティックな変化ではないし、わたしくんだりの処遇について社内
でずいぶん検討・配慮いただけたようなので気持ちよく受け入れられたというのは嘘で
はない。CEOの考え方であったり、会社のミッションに共感して今の職を選択したわた
しなので、その社内での異動ならじゅうぶん許容範囲だ。でも、いままでのこぢんまり
として和気藹々のディビジョンから踏み出していくことにはちょっとした覚悟は必要かも
しれない。


月初めはまだ・・・

 9月のはじめは8月からひきつづきの事業計画づくりに燃えていた。5日にはうちのチ
ームで練り上げたあたらしいサービスの提案にほぼ及第点が出た。急遽、軌道修正を
描いた化粧品やさん向けのサービスについてもこのままGOサインが出た。この時点で
は体制変更や異動なんてカケラも思っていなかった。もっとも検討ははじまっていたも
のの実際に社としての方針がでたのもこれよりあとだったのだけど。


 5日にはあたらしいメンバーがうちのディビジョン、そしてわたしのグループに加わっ
た。今までグループマネージャーという肩書きはもらっていたけれど、じつはひとりのグ
ループだった。俗にいうと、この日から部下ができたということになる。けれど、この女
性は、某大手カジュアルウエアチェーンの店長経験をもつキャリア組なので、部下とい
うよりも同志といったほうがいい感じだった。そして、 彼女も同時に異動となり、このあ
とも一緒に仕事をしていくことになった。わたしは3ヶ月間、同じディビジョンにいたけれ
ど、彼女は1ヶ月足らずで異動となった。ちょっと気の毒だった。


 その彼女の初日、21時になってもまだ残っていた。朝も遅いけれど夜も遅い弊社な
ので、まわりに気を遣っていると帰り損なってしまう。じぶんの初日もそうだったけれ
ど、これといってする仕事があるわけじゃないけれど、なかなかじぶんから「お先に失
礼します」と席を立てないものだ。そこで「そろそろ上がりませんか」と声をかける。きょ
うはもうディビジョンメンバーもわたしを含めてあと2人となっていたのだからもういいよと
いうところ。まぁ、かっこよくいえば上司の気遣い(務め)かな。


 翌6日、同じ時期に途中入社していたYさんと久しぶりに社内で顔を合わせた。向こう
から「おひさしぶり!」と机のところまできてくれたのだが、聴けば、体調を壊して休職
していたという。彼女の業務はわたしにくらべてたしかに早々から激務だったことは想
像に難くない。いつもにこやかなことが印象的な彼女だけに、途中入社のハンディに負
けまいとがんばってしまったのだろうか。この時点では、その仕事にじぶんが就くことに
なるとは思ってもみなかった。「健康あってのことだからね」と話したのだけど、まさかじ
ぶんがね・・・。


使い物

 7日、上長から「パワーポイントの禁じ手」というファイルをもらった。ここまで2チームに
分かれてサービスを作ってきたので、クライアント向けのサービス資料を作成する際に
は、べつべつに作ってきたファイルをひとつにまとめる作業が発生する。そうしたときに
無駄な時間を手間をかけないように、こういう作り方はするなということが書かれてい
た。


 まったく我流ではじめたパワポなので、キチンとした決まり事を勉強したことがない。
だから、きょうの「禁じ手」も実はいくつか平気で使っていたりした。じぶんでいうのも変
だが、この2ヶ月半で、こうしたサラリーマンとしての基本的な素養は少しはレベルアッ
プしたかなって思っている。上長からも「だいぶパワポも使えるようになりましたね」と言
われたりもした。(今までは使えなかったという意味だから、ちょっとショックだけど)で
も、これを見るとまだまだ勉強だということ。会社から見て「使い物になる」人材でいな
いといけないと再確認。


営業

 8日は入社以来2回目のスーツでの出勤。台風一過スッキリ雲ひとつ無い青空で残
暑は戻ってきたし、いつもはそれほど混まない山手線が、点検のためしばらく運転を見
合わせていたとかでぎゅうぎゅう詰めで池袋を発車というぐあいで、こういう日に限っ
て・・・と恨み言もいいたくなる。でも、思えばずいぶん楽をさせてもらっていたわけだ。


 スーツで出勤したのは、午後、あるメーカーの社長さんと会うためだった。営業を長く
続けてこられた同じディビジョンの方があすで退社されるので、顔つなぎの意味もあっ
て本日はごあいさつがてら新サービスの感触を確かめにいったというところ。30代前半
という若き創業者社長はノーネクタイ姿で現れた。なぁ〜んだ、スーツじゃなくてもよか
ったのかなぁって思うが、営業として先方を往訪する立場としては、これはマナーといっ
たところ。その営業担当氏は翌9日までで退職された。もっと早くノウハウを吸収してお
けばよかったとその時は思ったけれど、今の異動先はそうした営業のないセクション
だ。


 14日もスーツで出勤。この日はかつて化粧品店を自営している時代に取引のあった
某メーカーの本社を往訪する。きょうもまた朝からギラギラと陽差しが照りつける。ホン
トにもぅスーツだっていうのに・・・と愚痴る。往訪先の某社の受付前はさまざまな訪問
者でにぎわっていた。脇には「クールビズ励行中」のボードが立っていて、カジュアルな
服装の社員も多いが、往訪しているほうは100%スーツという感じ。一瞬、クールビズ
でもよかったのか・・・と思ったが、われわれを応対した管理職さんたちはスーツにネク
タイだった。


 相手先によってホテルのロビーのようなオープンなフロアだったり、その横のパーテ
ーションで仕切られたスペースだったりするようだが、弊社はドアのある応接スペース
に通された。キチンを迎えてくれているということなのだろう。でも、天井が高く、壁には
絵画が掛けられ、間接照明というこのスペースは、否応なしに緊張させられる。某社側
に余裕をもたせ、いい条件をひっぱりだす(?)ための戦略なんだろうか?


 3連休明けの20日火曜日もスーツで出勤。午後、わたしたちのヴィビジョンのサービ
スに興味を示してくださったメーカーさんに説明に出かけるためだった。同じチームでサ
ービスの企画を練ってきた元大手小売流通業出身のSさんと往訪。たまたまその会社
はご近所隣組という感じの青山一丁目なので歩いて営業に向かった。


 先輩営業マン氏が退職されたあと、はじめてメインの役割を果たしてきたのだが、今
まで長年営業を受ける立場だったので、ちょっと戸惑ったというのが本音。ただ、相手
の気持ちがある程度理解できるという利点もある。今回のC社の女性はじつにさっぱり
した方だったので、おたがい「ぶっちゃけたところ」という話ができ、好感触を得て帰って
くる。その後、この案件は引き継いでくれたSさんたちのがんばりで契約にこぎ着け
た。


 わたしたちがつくりあげたこのサービスについては、工数や手間暇かかるからと、極
力訪問営業はせず代理店などにまかせるという方針が示されていた。でも、実際に相
手先と向き合って人間関係を作るということが、大きな契約につながることはまちがい
がないし、わたしたちの思いをキチンと結果につなげるためには、訪問営業活動も大事
だよなと思った1日だった。しかし、結局、 わたしの訪問営業はこの日の1回こっきりだ
った。


そして異動へ

 21日水曜日のディビジョンミーティング。営業マン氏が退社されたあとのディビジョン
内の体制を明確にしたいよね。今後の事業計画の方向性はどのようにしていこう
ね・・・。という話になると思われたのだけど、オフィサーの口から出されたのは、異動を
伴うことになるであろう大きな体制変更だった。わたしは事前に若干のサジェスチョンを
受けていたが、全社的にシェアされていない内容だからと、全体像を示されないまま伝
えられたメンバーは驚いたようだし、不安も感じたようだ。


 わたし自身は退路を断って臨んだ会社なので、たとえどんな配転を命じられても、そ
れが人格を否定されるようなものでなければ厭わない気持ちだからいいとしても、唐突
な体制変更に正直驚きは隠せなかった。何も背景を知らされないままに伝えられたメ
ンバーの心には大きな波風が立った。この日、そして翌木曜日と、業務上のミーティン
グの終わったあと、ランチタイム、そして退社後に出かけた食事の場で、ひそひそ話が
つづく。話に尾ひれがつく前にキチンと行く先を指し示さないといけない。そんなおこが
ましい気持ちで9月2回目の3連休を迎えた。


 28日、わたしたちのディビジョンに波風を立てた一件については、弊社のCEOが他の
ディビジョンを先駆けて、うちにだけ時間を割くかたちで収拾をはかってくれた。結構情
報を多く得ていたわたし的には「想定内」だったのだけど、トップ自らの出馬により、メン
バー全員が「腑に落ちた」ようだった。これで、「大人」なうちのメンバーのこと、きっとい
いかたちで次のステージへのキックオフができるだろうって確信した。そして、メンバー
の思いは同じだ。「いつの日か再結集を!」


 この日の夜、今のディビジョンと転籍する先のディビジョンのオフィサーが一緒になっ
て今後のことについてレクチャーしてくれた。その心遣いには感謝することしきりだっ
た。もともとこの会社とは、化粧品組合側の窓口としておつきあいがはじまったのだけ
ど、その最初の時点からずっと担当してもらってきたのが、こんどお世話になるオフィサ
ーだった。これまでいちばんおつき合いが長かったし、転職の話もこのオフィサーとの
会話の中から生まれた話だ。ここまでずっと関わりをもってきていたわけなので、ある
意味原点に帰ったともいえる。ただし、こんどは立場が違うので「営業成績」という数値
目標が課せられることになる。まぁ、これは宮仕えとしては当然といえば当然だ。


 30日金曜日、全社ミーティングで正式に10月からの体制変更が発表された。わたし
たちのディビジョン以外にも異動が何人かあった。宮仕え4ヶ月目にして向かえた配置
転換(異動)、とやかく言える立場にはないし、わたしたちには早い段階からその背景
も聞かせてもらえる機会があったのが幸いだ。


 オフィサーを入れて7人というこぢんまりとしたディビジョンなのでみんな仲がよかっ
た。人見知りするわたしだし、当初、チームを組まずひとりでコンセプトワークなどをして
いたこともあって、軽口を叩けるまでには時間がかかったけれど、となりに座った長男
よりひとつ年下のS子嬢の天性の明るさに救われたこともあって、ほんとステキなパー
トナーたちになっていた。わたしを含めて3人が転籍という今回の事態はしかたないと
はいえ淋しいものはある。


 この日のお昼はオフィサーの心遣いで「さよならランチ」。もっとも、さよならといっても
一時的なもの、他のセクションで経験を積んだ上で再結集という想いをみんなが抱いて
いる。そして夕方、とりあえず現行の体制での最後のディビジョンミーティング。そして、
引き継ぎを兼ねて将来の再結集に向けての思いをみんなで語り合った。


 一方、月曜日から一緒に仕事をするディビジョンのメンバーからは、さっそくその夜に
「歓迎会」をしますから予定を空けていてくださいと伝えられた。とりあえず歓迎されて
いるようだ。(それをダシにして呑み会をするのだろうなんていう勘ぐりはよそう)ただ、
これまでは肩書きだけのマネージャーで、実際のグループマネジメントをしてこなかっ
たけれど、こんどは少し慣れたところで9人のメンバーのマネジメントも担当することに
なっている。ベテランの人も多いグループなので、この点での不安はちょっとだけある。

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◆生活編

祝!優勝

 今月の特記事項といえば「阪神タイガースの優勝」があげられる。前回の18年ぶりと
くらべてたった2年でのトップの座返り咲きに、そのありがたみをとやかくいう向きもある
けれど、うれしいものはうれしい。9月の試合のある日は、つねにPCのバックグラウンド
にインターネット速報画面を開いていたといってもいい。仕事中なのにごめんなさいとい
うところだけど、19時からはフレックスのコアタイムを過ぎているし、テレビのようにずっ
と画面を凝視しているわけではなく、時々経過を見にいくだけだから許してください>
社長。


 9月7日、会社を出たときにはたしかに勝っていたはずで、池袋の駅に着く頃にはもう
「結果」となっているはずだったナゴヤドームの中日戦。携帯電話の「阪神タイガース公
式ファンサイト」は一向につながらない。ようやくつながったと思ったら、まだ9回の裏。
しかも同点?・・・。かえってスポーツニュースをみたら、判定をめぐってかなりはげしい
やりとりがあったあと、延長で辛勝。この試合での勝利が優勝を決定づけたようなよう
な気がする。


 衆議院選挙、自民党大賞のニュースの陰にすっかり隠れてしまったけれど、11日は
杉山がプロ入り初完投を完封で飾って4連勝。4連敗の中日とのゲーム差が6とひろ
がった。そして、このあとはとんとん拍子。リロードをくり返して何とか売り切れ寸前にゲ
ットできた10/1のヤクルト阪神戦(神宮)が優勝決定の大一番にならなかったのは、ち
ょっとだけ残念だけど、甲子園で、しかも巨人戦に勝利しての胴上げは最高に気分が
よかった。あとひとつ勝てば優勝というところで当時の中日球場で中日に負け、戻った
甲子園で負けて巨人のV9を許したあの遠い過去の屈辱をようやく晴らした格好だ。


 おととしは休みだったのでその瞬間をリアルタイムで見ていたのだが、ことしは就業
日だったし、オフィスのフロアにテレビはない。それでも、仕事をしているフリをしながら
1回の裏の先制も下柳の好投も追加点も、インターネットの1球速報で追いかけてい
た。6時以降はほとんど仕事が進まなかった。すみません>社長


 勝利を確信したので、10時前にはじまるニュース番組に間に合うようにと会社を出
た。原宿で地下鉄から山手線に乗り換えたところで、携帯のタイガース公式サイトで優
勝を知る。まわりに気づかれないように小さくガッツポーズ。次の代々木駅に電車がす
べり込む直前に妻からおめでとうメールが届いた。


 2年前の独走ぶっちぎりの優勝の時は18年ぶりということもあって冷静さを欠いた感
があるが、ことしはゆったりとふり返ることができそう。地元名古屋の中日と競りあった
末に勝ち取ったということもその重みのひとつ。JFKという勝利の方程式が最後までく
ずれなかったのも価値があった。さて、かくなるうえは、2年前の「忘れ物」の日本一を
勝ち取ってほしいところだ。MVPはやっぱりアニキかなぁ? 個人的には藤川にあげ
たいんだけど。


安堵

 今月、もうひとつ大きなことといえば「MRI検査」を受けたことか。先月初めに受けた
健康診査の中で、肝臓に低エコー域があるので再検査といわれていたのだ。肝機能
の数値にはまったく異常がないので問題はないと思われるが念のためということだっ
たけれど、それでもMRIを受診してくださいといわれると心おだやかではいられない。


 22日、朝から絶食で先回1日ドックにいった東中野の検診センターに出向く。9月下
旬になると最新鋭のMRIが導入される(入れ替わる)のでそれからでといわれて入れて
あった予約だ。検査衣に着替えて待つこと少し、予定時間より早く声がかかった。検査
室に入るとその仰々しさにビビる。けっして気が小さいとは思わないが、あの検査機器
を目にすると、何かとても重大な病気をかかえているようでドキドキする。


 ベッドに寝かされて、簡単にいうと拘束されるような格好になる。そして大きな壁のよ
うな機器の真ん中にあいた穴の中吸い込まれていく。閉所恐怖症なら大声を上げて助
けを呼びたくなるところだろう。ヘッドホンから「軽く息を吸って、吐いて・・・そして、もう
いちど吸ったところでしっかり止めて」という指示がくり返される。その都度、耳障りな機
械音がして撮影をくりかえす。痛みはないし、胃の造影検査みたいに逆さまにされたり
することもない。だんだん慣れてきてずっと目を閉じていたこともあって、わずかな時
間、眠りに落ち夢も見ていたようだ。


 どのくらいの枚数撮ったのかわからないけれど、いつのまにか30分以上の時間が経
っていた。終わってみれば検査自体はなんてことなかったなぁと強がってみた。


 2週間くらいでお届けしますといわれた検査結果は30日にはやばやと届いた。果たし
てその結果は、肝右葉に55mm・21mm・12mmの3つの境界明瞭な楕円形構造のもの
があるらしい。って、勿体つけたけれど「血管腫」とのこと。血管腫は良性腫瘍で、この
まま超音波検査による経過観察で対応可能だそうだ。即座にGoogle検索窓に「血管
腫」と入れてネットサーフィンしてみる。極端に大きくなって破裂した場合には命に関わ
るとかいてあったが、基本的には診断のとおり「経過観察」でよいそうだ。安堵の思い
があふれてくる。意固地になって突っ張っているつもりはないが、今、病に倒れるわけ
にはいかないのだ。


 その夜21時すぎ、氷川台の駅を降り、いつものスーパーで空になった冷蔵庫のため
に買い物。サワラが半額だった。しゃぶしゃぶ用の薄切りの豚肉も半額。金曜日の定
番、アジの開きはいつもよりもずいぶん安かった。タマゴも食パンも安いのが金曜日。
今夜とあしたのメニューはこれで組み立てられそうだ。週末の楽しみ用の、そして一日
遅れの勝利の美酒用のビールも買った。昨夜は阪神優勝のニュースをくり返し追いか
けつつも、木曜日だからとルールを守ってビールは口にしなかったのだ。


 スーパーの袋を両手に提げて石神井川沿いを歩いて帰る。とりあえず、今夜はサワ
ラを塩焼きにして・・・と川の流れの音を耳にしながら考えていたら、何故かふいにZAR
Dの「負けないで」のサビが頭の中に響いた。あ、秋田内陸をはじめて走った時みたい
だなって思った次の瞬間、岡村孝子の「夢をあきらめないで」のフレーズが頭の中に流
れた。

 その時、ふいに熱くこみ上げてくるものがあって、どうしてなのかわからないが、歩き
ながらポロポロと涙があふれこぼれた。なすすべもなく荷物を提げたままあふれる涙を
ぬぐうこともできずただ部屋に向かって黙々と歩いてきた。


 遅く帰ってそれから夕飯を作って食べていること、掃除や洗濯、アイロンかけ・・・その
すべてが苦じゃない。逆に楽しんでいるよっていう気持ちに嘘偽りはない。虚勢を張っ
ているつもりもない。淋しいって思ったこともないし、つらくてやりきれないという思いをし
たことも、仕事がイヤになったことも苦しいと感じたこともない。帰りたいって思ったこと
もない。なのに何故?って、部屋に帰り着いて涙がすっかり乾くと不思議でしかたな
い。


 こころが乾ききっていなかったこと、こころの中にあふれるくらいのあたたかいものが
あったことをよかったとしようって決めた。簡単にぽきんと折れてしまうような柔なわたし
ではないんだし。

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◆自宅建て替え編

 9月10日、秋晴れの東京を午前中に出て名古屋に戻る。名古屋も青空。そんな午後
「地鎮祭」を迎えた。いろいろあったし、まだまだクリアしなくてはいけない問題もいろい
ろあるのだが、なんとかここまでこぎ着けた。あとは、順調に進んでいってくれることを
祈るばかり。


 現に、この朝まで重機が入ってがれきの運び出しやら整地を行っていたらしい。とな
りのお宅とうちの店先は、まるで続きの賃貸店舗というか長屋というか、軒先がくっつ
いていたのだ。建物そのものはくっついているわけではないのだが・・・。昔はこんなこ
とも許されたんだよなという驚きの建て方だったのだが、いざ解体するとなるとこれは
壊してみないととなりにどう影響するかわからないということだった。


 解体に入ってみると、となりの屋根の一部に影響はでたし、何より、うちの建物がなく
なってむき出しとなったとなりの壁面は結構補修が必要だったりした。うちが解体した
ことによる損害の度合いとか、おとなりだけに胃の痛くなるような交渉事が発生した。


 引っ越し後の仮住まいの生活もまだまだ落ち着かない中、名古屋での様々な交渉
事はすべて妻にしてもらっている。町内会の役員さんとして、敬老の日の記念品を配る
という行事もやってもらった。会計さんなのでちょっと気を遣う仕事ではあった。


 ようやくこぎ着けた「地鎮祭」だけど、これっておそらく人生にいちどあるかどうかとい
うことだから、見ること聴くことはじめてのことばかり。よく公共工事の起工式などの映
像でみる鎌で草を刈るような儀式(?)やら、鍬入れなどの儀式も体験。鎌は施主であ
るわたしが行い、鍬入れは工事を施工する業者さんが行った。


 神事にあたり、神様に降臨いだく「降神」と、次第が終わってお帰りいただくときの
「昇神」のときの神主さんの発する声は、怪しげな霊媒師みたいで笑いをこらえるにに
必死という感じだったが、こちらも滞りなく無事終了。


 月に1度帰ることがやっとだから、帰るたびにビックリするくらいその姿を変えているこ
とだろう。順調にいけば、お正月はあたらしい家で迎えられるはず。それはうれしいし、
家族に対してじぶんとしてできることの最大級のことを実現してあげられるということに
は、ちょっと誇らしい気持ちになるが、住宅ローンもはじまるので、この「細腕」でがんば
らなくてはいけない。でも、なにより「健康第一」。そして、ストレスをためないよう、がん
ばりすぎないようにしなくちゃ。

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