最後の・・・

 

◆いよいよ

  6月18日。来週のきょうは東京の人になっているはず。そろそろその準備もしなくて
はいけないということで、きょうは、まずパソコンのバックアップ作業。持っていくデスクト
ップのデータをDVDと、うちに残していくデスクトップPCのハードディスクに2重にバック
アップ。なるべく引越荷物を小さくしたいので、デスクトップパソコンは昔使っていたFAX
の箱に無理無理詰め込んでいく予定。緩衝材のプチプチでくるむ予定だけど、もともと
の梱包の中空仕様にくらべると衝撃に対して不安が残るけれどしかたない。

 午後には夏の間に必要な衣類を買いに行く。別に格好をつけるわけではないが、や
はり「新社会人」としてそれなりにキチンとしたいもの。とはいえ、I社はスーツ姿の人は
滅多に見かけないカジュアルなスタイルが一般的な会社。今どきの「クールビズ」なん
て、あえて提案するまでもないという雰囲気。社長がジーンズで全体ミーティングにで
てくる会社だからね。これはわたしにとってなんともありがたい話。ということで買い物
に行った先は、紳士服の○○でも、洋服の○○でもなく、わたしの定番「ユニクロ」。

 アウターのシャツ・パンツに、インナーのランニングシャツ、ボクサーブリーフまで、しめ
て17点、15000円強のお買い物。ユニクロでこんなに客単価が高い人も少ないだろう
ねぇ・・・という感じだ。これで着るものはひとまずだいじょうぶかな。

 6月19日。あしたは、I社でのミーティングやプレゼンが予定されている。ということで
夜19時半過ぎに名古屋を出てきて練馬の自宅に素泊まり。「新幹線通勤」(?)もこれ
が最後となる。部屋にはまだ家具も家電も入っていないので、今夜も寝袋。ただ前回
の轍を踏まないようにと、今夜は枕持参。まだ眠りに落ちる前にゆらゆらと地震の歓迎
を受けた。時計を見たら1時15分。大きな揺れとは感じなかったけれど、かなり長く横に
ゆらゆらと揺れていた。これって3階だからかな。新築の建物でよかったなぁ・・・って、
いきなりの洗礼にホッと一息。すぐにテレビをつけてみる。「震度3」だった。

 6月20日。朝、このあたらしいうちから出勤するのははじめて。来週からの実際の通
勤の予行演習というところ。I社は10時からがフレックスのコアタイムとなっている。いろ
いろシミュレートした結果8時50分に家を出ることに。このあと4〜5日、また留守となる
ので施錠やガスなどを念入りにチェックする。慣れないせいか、主キーと補助キーのダ
ブルロックとか、玄関のオートロックは結構面倒だったりするなぁ。

 地元駅の氷川台から地下鉄有楽町線、池袋から原宿まではJR山手線、明治神宮前
から地下鉄千代田線で乃木坂まで。ドアトゥドアで52分の通勤時間だった。さすがにラ
ッシュのピークは過ぎているので、どの電車もとなりの人とくっつくようなひどい混み方
ではなかったけれど、座ることはまったく期待できないし、慣れるまでは新聞を読んだ
り本を読んだりはできそうもないな。そうそう、だいたい山手線は朝10時までは座席が
たたまれていて使えないのだ。なんだか貨車に乗せられている荷物ってところだね。
来週の月曜日からは毎日この往復となる。今までが通勤時間ゼロの生活だったので、
当分はこの行き帰りだけでも相当な労力を使うことになりそう。この時間を楽しむ方法
も考えなくちゃ。

 きょうは10時の始業から21時近くまで、ディビジョンとしてのミッションをメンバー間で
シェアするためのミーティングやら、新しく持ち込まれた案件についての判断を求めら
れたりと、もう「お客さま」という感覚ではなく、ふつうに勤務をこなしたという感じ。社内
の空気になじんだとまではいわないけれど、同じディビジョンのメンバーにはなじめてき
たかなというところ。

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◆最後にぶち壊れた

 22日。この日は「うれしい」一日のはずだった。もちろん、そのとおりうれしかったこと
には違いがないのだが、うれしさのあまり呑みすぎて派手に壊れてしまった。まぁ、こ
れを最後としましょう。

 お昼はいちばん仲のいい化粧品屋さん仲間のご夫婦とご一緒にタワーズの
「KIHACHI」でランチ。わたしたちはもうずっと「親友」といえる関係だったけど、奥さんど
おしもセミナーなどでは親しくしてもらっていた。わたしたちの「悪口」も言い合ってもい
たようだ。しかし、定休日が違っていたこともあって、こうして食事をご一緒するのはは
じめてのことだった。

 これからは、うちの妻のほうは時間を合わせられるので、時々はおたがいの息抜きに
ランチというのもいいかもね。ただ、わたしのほうは彼と飲んだくれる時間をつくることが
むつかしくなる。そんな思いもあったせいか、某メーカーの支社長がセッティングしてく
ださっていたこの夜の「壮行会」では、派手に壊れてしまった。

 このところは、ビールと焼酎ということで、あまり口にしなくなっていた冷酒だけど、地
元名古屋緑区で若い杜氏さんががんばっている蔵の冷酒をメニューに見つける。口当
たりのよさもあって、くいっくいっと進んでしまう。あ、これはやばそうと思ったところまで
はキッチリ記憶にあるが、そのあとは断片的にしか記憶がない。ご一緒したみなさんに
ご迷惑をかけたことは必至。「立つ鳥跡を濁さず」というのを心に銘じてきていたが、こ
と「お酒」に関しては、最後の最後に「痕」を遺したというところか。大変、失礼いたしま
した。

 23日。この日はいろいろ予定がたて込んでいたのだ。調子に乗って呑みすぎるんじ
ゃなかったって、まったくもって「後悔先に立たず」。帰ってきたのが4時らしいので、眠
いわ気持ち悪いわ、からだは重いわ・・・で最悪の状態のまま、午前中は建て替えに
関してのインテリア打ち合わせ。ここはどうにか持ちこたえたけれど、うちに戻ったお昼
過ぎには、久々の胃液の逆流に苦しむ。こんな思いはほんとうに久しぶり。気持ち悪い
けれど、でもきのうは楽しかったのだ。ご迷惑をかけていたとしたらお詫びするしかない
けれど、最後に気心の知れた仲間と思いっきり呑むことができたことに感謝。

 夕方、いよいよ引越荷物が出ていく。白物家電は東京で買ってあって25日に届くよう
手配がしてあるし、ベッドもパソコン机も同じく直送で届くように手配してあるので、うち
からだすものは、衣類とそれの入った収納ケースや、パソコン・プリンター、書類ケース
など。ということで、大きなトラックを借りる必要はないからと、利用したのはクロネコの
マークの会社の「単身引っ越しパック」なるもの。食品スーパーなどのバックヤードで使
われているような縦横が1.1m、高さ1.7mのコンテナに詰め込めるだけ詰め込んでとい
うもの。

 持っていくものをかためて置いてあったときには果たしてこんなに積めるのかなぁと心
配していたけれど、ドライバー氏がうまく隙間なく組み合わせながら積み上げていく。意
外に積み込めるものだと感心。ただ、緩衝材がわりの段ボールをまったく用意してきて
いなかったのは「マイナス評価」。うちの引っ越し用にととってあったキレイな段ボール
をいくつか提供した。この分の値引きをしてもらいたいよなぁ・・・って気分。

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◆名古屋最後の夜

  24日。名古屋最後の一日も慌ただしく過ぎ去っていく。売却することにしたレコー
ドも運び出されていった。その数にして4000枚はあっただろうか。そのうち半分は非売
品の「テスト盤」だったけれど、中には「レア」なものもある。時間があれば、細かくマニ
ア向けの店に売却するというのも方法であったけれど、価値のありそうもないテスト盤
も含めてすべてを片づけてもらうという条件で、名古屋の老舗の中古レコード屋さんに
お願いをした。きょうの午後、相当な数の段ボール箱に詰め替えられて、お店のロゴが
入った派手な黄色いバンにわたしの青春(?)の想い出がうちを離れていった。

 急いで、レコードの入っていた多目的棚をばらして破砕工場に持ち込む。これで大江
破砕工場も6回目。バリバリバリといい音を立てて、薄い合板の棚が飲み込まれていっ
た。こちらもなんとか名古屋を発つ前に処分できた。

 夜になって、あす着ていく洋服にアイロンをかける。実はアイロンなるものをかけるの
は、かぎりなく初めてに近い。妻のあたたかい(?)ご指導の元、なんとか完了。でも、
今回はスーツというわけではないから、シャツにしてもパンツにしてもとてもアイロンの
かけやすい素材なのだそうだ。これはちょっと苦労しそうな予感。きっとアイロンの要ら
ないポロシャツとかを着ることが多くなるだろうなぁ・・・。カジュアルな会社でよかった。

 何人かから電話がかかってきて、一応の最後の挨拶をした。もちろん「今生の別れ」
というわけじゃないし、すぐに来月も帰ってくる予定になっているから、それほど悲壮感
があるわけじゃない。でも、一区切りではある。あしたは午前中に届く荷物もあることに
なったので朝早くに名古屋を発たなくてはいけない。不安がないわけじゃないけれど、
今は期待感というか、楽しみと感じられるじぶんがいる。このまま「苦しみ」に変わるこ
となくやっていけたらいいなぁと思っている名古屋最後の夜である。

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