50代突入!

 

◆2005年4月13日

 2005年4月13日、50歳の誕生日を迎えた。とはいっても、ふつうに朝がきて、ふだんどおりの一日が過ぎていっただけ。とくに「50歳」だからといって変わったことがあったわけではない。それでも、きのうまでのぐずついたお天気がスッキリとした青空になったのはうれしい。心がけかな?(自画自賛)

 日付が変わると同時に携帯に「たんおめ」メールをくれたEさん。会員登録しているあちこちからの「おめでとうメール」にまじって、これからもずっと「タメ」だからなと「おんタメ券」なるものをメールしてくれたSさん。どうもありがとう。

 長男と次男は、何よりのプレゼントを買ってくれた。かつては「ビール」だったのが、たしか昨年は「発泡酒」になり、今年は旬といえばそう言えなくもないが「その他の雑酒」になった。まぁ、たいしてバイトもしていない学生なのだから多くは望まない。気持ちを多としたいところ。

◆人生設計その1 自宅建て替えは?

 老朽化した自宅を建て替えたいね・・・という「人生設計」については、メーカーの営業担当者の「熱意」に接しても、あいかわらず行きつ戻りつしている。D社は、若い営業担当くんだけでは埒があかないとみたか、先輩氏(彼もまだ若いが)と2人でやってきた。ここは、あいかわらず「賃貸併用」でだいじょうぶと言い張る。もっとも大きな規模の事業計画を持ってきたP社の営業担当者は、「賃貸併用はリスクが大きいので見直す方向」と話すと、じつは・・・と、厳しい収支見通しだったことを吐露した。

 この方向転換をチャンスとみたのか、S社の担当者は「当社は戸建て住宅こそ得意分野」と積極攻勢をかけ始めている。ご希望にいくらでも応えられる提案力があるのだそうだ。

 わたしに方向転換を決断させたA社の営業担当者は「戸建てでも相談にのってほしい」とメールすると、すぐにアポを取って話しにきてくれた。以前にも書いたが、ファイナンシャルプランナーでもある彼は、経験も豊富なこともあってか、「へぇ、そうなんだ」という話が多くためになる。今までに200軒近くの家を建ててきたけれど、話をしにいった件数はその10倍はあるという。

 家族内の意思統一が図れなくて壊れた話は枚挙にいとまがないという。単に外観がモダンか和風かということの違いだけでも、もめはじめると建設計画そのものを左右するところまで至るのは日常茶飯事らしい。そして、資金計画、とくに住宅ローンをめぐっての考え方の違いは致命的。うちのように土地の所有者が母とわたしというケースでも、たとえ親子といっても思惑の違いが生じると骨肉の争いになるという。

 今は、金利が底だし、税制の優遇措置も徐々になくなっていくので、住宅ローンを組むのにはチャンスではあるけれど、焦ってもろくなことないから、くれぐれも意思の統一を図ってからとSさんは助言してくれた。そうなのだ、以前に恥を忍んで書いたけれど、母親とわたしたちの間に考え方の違いがある現状では急くことは禁物なのである。

 これまた恥ずかしいことなのだが、どうやら「愚息」であるわたしは、あまり信用されていないようなのである。へたをすると印鑑を勝手に使って土地の名義を換えかねないくらいに思われているのかもしれない(考えすぎかな?)。けっしてうまくいっているとはいえない母とわたしだから、わたしはどう思われてもしかたないけれど、ここまでずっと、母親も含めた「伊藤家」をひとつのものとして尽くしてきてくれた妻に対しては、申し訳ないし、悲しいし、情けない。

 こんどの「人生設計」での自宅建て替えというのは、母を含めた「伊藤家」5人がいっしょに暮らせるあたらしい家を建てるというものなのに・・・とやりきれない思いが募ってくる。

◆人生設計その2 閉店そしてはじめての宮仕えへ?

 皮肉なもので・・・とは言わないけれど、今月は昨年対比で売上が伸びている。これは言うまでもなく「閉店効果」だ。たまっているサービススタンプを使ってしまおうとか、次に買うお店がすぐに見つからないといけないからと、まとめ買いをされる方もある。ホントに胸が詰まる思いがすることが一日に何度もある。

 同業者の間での「驚き」はまだまだその波紋を拡げてつづけているようだ。「行く先々でその話になりますよ」と某メーカーの担当者が言っていたし、「大ショック!」「びっくり!」というメールや電話がまだまだ届く。事情をじぶんの口からキチンと伝えた人の数はさほど多くないから、きっといろいろな「憶測」や「誤解」も含んだかたちで伝搬しているのだろうと思う。

 このサイトを見てくれた人は概ね理解してくれるようで、「ビックリしたけれど、でも決めたことだからしっかりがんばれ! 陰ながら応援している」と言ってくれる。多分に社交辞令の部分はあるとは思うが、そう言ってくれる、感じてくれるのであればありがたい。ただ、少なからず「偉そうなことを言っていたくせに」と吐き捨てるように言っている人もあるのだろうなと思う。「裏切り」「卑怯者」という非難もきっとあちこちにあるのだろうと思う。迷惑をかけることはたしかなので、すこしでも「立つ鳥跡を濁さず」で、キレイに身を処さないといけない。そして、今後のがんばりでその非難を払拭していくことしかない。

 あす(4/14)とあさっては、全粧協のことしの年次大会の内容を構築する委員会に出席する。これまでの2年間の大会のつくりかたをことしの委員の人たちにつなぐ役割だ。ほんとうは11月の本番までアドバイザーとして関わっていくはずだったのだが、あすあさってが最後ということになってしまった。他にも途中でバトンタッチということがいくつもある。あしたは、ご迷惑をかける多くの方たちにひたすら頭を下げてこようと思っている。ここが全国へのひとつのけじめ。18日には地元愛知へのけじめの場をもたせてもらう。

 わたしの側でのけじめ・区切りは着々とつけられているが、東京での新生活についてはその後、大きな動きはない。住まいの件もいちど現地を歩いてみないといけないとは思うのだけど、その日取りもまだ決められずにいる。連帯保証人の問題とか気がかりなことはいろいろあるのだけど、それもまだ片づいていない。まぁ、こちらは化粧品組合へのけじめがひととおりついたら進めていくことにしようと思っている。しなくてはいけないこと、決めなくてはいけないことはいっぱいある。

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◆ けじめ

  4月14日、朝5時半起きで福岡へ。セントレアから初搭乗。博多のホテルで開かれていた全粧協の理事会でけじめの挨拶をさせてもらう。ここでも「びっくりした」とか「さびしくなる」と言われたものの、好意的に受け止めていただき幸せ者だと感じた。

 午後からは、ことし11月に福岡で開かれる年次大会の内容を構築する、福岡と大分と長崎の3人のYさんと、全粧協の理事長ら8名で、ことし事例紹介として取材をしようとしているお店をまわる。北九州から、古賀、そして宿泊は長崎とかなりの移動距離。翌15日は、長崎を出発し島原へ。そののちフェリーで熊本に渡り、八女市のお店に立ち寄って福岡に戻ってきた。

 長崎の夜は、今後の内容構築作業の前途を祝して(前途多難ともいえる)しっぽく料理に舌鼓を打つ。移動の車中では、大会の構成のしかた、運営のしかたなどをひととおり伝えたつもり。これで、ひとまず「お役ご免」ということになるのだけど、何かあったらアドバイスはしてあげようとは思っている。ただ、3人のYさんはキチンとできる人なので、これまでにとらわれずに自由に組み立ててくれればいいなと思っている。でも、当日のオペレーションのすべてをアウトソーシングしないで運営しようとするには、3人ではちょっと無理かもしれない。

 18日は、愛知県の理事支部長会でやはりけじめのあいさつをさせてもらう。いつも司会のところに名前があった5月の総代会の式次第から名前が削除されている。配慮がうれしいようなちょっと淋しいような・・・。でも、こちらもこれで一区切り。

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◆ おいてけぼり

 化粧品店の品揃えのひとつであるへアクセサリーやヘアピン、ポーチなどの「装粧品」とよばれるものや、化粧小物類、エプロンや軽衣料などを供給していた某メーカーの卸売り部門が中止になることになった。かつては名古屋でも「問屋街」とよばれる一角にいくと、こうした品物は簡単に仕入れられていたのだけど、ここ何年も前からなかなか品揃えすることがむつかしくなってきていた。それを補完する役割を果たしてくれていたので、きっと困るお店も多くなるのだろう。とくに近くに問屋がない地方のお店は影響が深刻なはずだ。

 今後、問屋やメーカーを紹介するとは言っているが、発注単位や1回の最低仕入金額などのハードルが高くなることは必至だ。規模の小さな街のお化粧品やさんは、結局切り捨てられることになる。最近、医薬品卸と合併して日本一の売上規模の問屋が誕生と新聞紙上をにぎわしている化粧品・日用品雑貨卸のP社が、量販店やドラッグストア、コンビニといった規模と数量を優先して、わたしたちを見切っていったことをまざまざと思い出す。

 20日に名古屋駅前のホテルで開かれた某メーカーの方針説明会では、矢継ぎ早の変革が表明された。メーカーはじぶん自身の存続をかけて他社との闘いに勝たなくてはいけない。そのためには、新たなフィールドに商品を投入することも辞さない構えだし、今まで営々と続けてきた「このメーカーのよさ」と思われていた施策を改変することも厭わない。それを肯定するための恣意的なアンケート分析もやってくる。

 では、それが、メーカーにとっての「お客さま」である販売店にとって満足のいくものかと言えば少々疑問符だ。これまでわたしたち化粧品店は、メーカーが広げてくれた傘のおかげで雨露をしのいできたというのはまちがいはないけれど、自主的な編集力を失った結果、メーカーのいいように扱われてきたということも反面事実だ。一時的かもしれないけれど、確実に在庫が増えることになる今回の商品政策をすんなりと受け入れてはいけないと、部外者になるわたしは危惧を覚えるのだが。

 わたしたちを取り巻くメーカーの体制が大きく動き出している。なんだか、この時期に閉店することって、絶妙のタイミングだったのではないかという気さえしてきた。もちろん、わたしの進む先に待っているのはけっして楽な道ではないけれど、街のお化粧品やさんにとどまっていたら、もっと険しいいばらの道が待っていたのかもしれない。そう考えると、化粧品やさん仲間には申し訳ないけれど、「やめられてよかった」という思いも正直浮かんでくる。べつに「潮目」を読んでいたわけではないのだが、今はちょうどその時にあたっているのかもしれない。

 いつまでも「メーカーにおんぶにだっこ」ではいけない。じぶんの身はじぶんで守らなくてはいけない・・・やめてしまう人間が「何を偉そうに」と思われても、そんなことを他のお店の人たちには声高に語っていきたいと思っているこの頃だ。

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◆ 住宅メーカーの優劣

 わが家の事情をかなり察知しているメーカー、あまり理解していないメーカーもありつつ、4社の営業攻勢は少しずつ勢いを増してきている。そろそろ、曖昧な態度もおしまいにしなくてはいけないときがきそうだ。まず、最後まで賃貸併用住宅でもだいじょうぶと主張していたD社には、計画がなくなったと断りをいれた。のこりは3社である。

 そのうちのP社は、集合住宅部門から戸建て住宅部門の担当者に引き継がれ、積極的な働きかけをしてきている。担当のK氏曰く、ある程度各社の説明を聴き終わったら、なるべく早めにおつきあいをしたいと思われる1社にしぼるべきだという。ここまで各社のセールスポイントを聴くことだけでも、結構大変だと感じているのだが、実際の間取りプランや調度品の細かな仕様を決める作業のほうが、はるかに根気もいるし悩まなくちゃいけないことも多いからだそうだ。

 S社の担当のY氏は「正直言ってある部分では他社の技術や性能が優れている面もあるかもしれない。でも総合力では負けていないと自負している」という。たしかに3社競わせてみると、優れていると思われている点はよく伝わってくる。もっとも、営業だから自社のセールポイントに熱心なのはあたりまえだ。そんな「優れている点」ばかりを見ているといつまで経ってもこことおつきあいというメーカーは決まらない。

 では、どこで折り合いをつけるかというと最後は営業担当者との相性というか、人柄というか、結局は「ひと」なのだと思う。これは接客業に携わってきたものとして、痛切に感じるものでもある。ことばは悪いが、化粧品くらいの価格帯のものならば、「勢い」とか「はったり」でも売れてしまうものだ。シーズンキャンペーンや新製品の拡売などその最たる例といえる。うちの場合は、それに熱がなくなったので撤退となったとも言える。

 こと、住宅となれば、そんな簡単に「勢い」や「ノリ」で決められない。大げさだけど「命を預ける」ようなところもある。ならば、誠実さが演技やテクニックでなく伝わるかどうかと、自社の商品にどれだけ自信と誇りを持っているかにかかってくるのだと思う。その点でS社の「他社のほうが優れている面もある」という説明は、一見、謙虚で誠実なようだけど、オーナー側にはマイナス評価となる。あくまでセールスポイントを徹底的に語り続けなくてはいけないと思う。

 25日の定休日に、生まれてはじめて「住宅展示場」なるものに出かけた。いちばん熱心かつ誠実に対応してくれているA社の担当者から、是非一度モデルハウスを見てくださいといわれていたのに応えたものだ。15時の約束だったけれど、せっかくだったので40分ほど早く出かけて、他のメーカーのもぐるっと見て回った。中に入れば営業されること必至なので外観を見て回っただけだが、それはそれは個性的で見飽きない。

 A社のモデルハウスには中に入っていろいろ説明を受けたのだけど、カタログや写真、間取り図面とは違って、実物ならではの納得がある。3社の中ではもっとも建設コストは高そうだけど、金額的な折り合いがつけばきっとこの会社とおつきあいをすることになるのだろうという気持ちになっている。もっとも、その前にわが家で建て替えにGOサインが出ないことにはいけないのだが・・・

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