行きつ戻りつ

 

◆2005年3月14日

 最後に残ったA社の担当者と会う。送っておいた土地活用診断シートに基づいての市場調査の報告が中心だったが、名刺にファイナンシャルアドバイザーと刷りこんでいるだけあって、建物そのものの話よりも、資金計画や経営計画といった話に時間を割いてくれた。今までの3社の話では聞くことのなかった話もあって、なかなかためになった。

 この2週間ほど、土地活用については知らないことばかりわからないことばかりで、学ぶことの連続だ。そしてきょうは、いちど建築中の現場や実際に経営されている例を見てほしいと誘われ、次の日曜日(休みではないけれど)に「見学会」に出かけてみることにした。べつにA社に決めたというわけではないけれど、見ておいて損はないと思ったからだ。

 午後、わたしが今こうしていられることにあたっての、業界の「恩師」「恩人」である全粧協理事長のNさんに会うために豊橋に出かける。お店にいらっしゃるかどうかの電話には「ん? なんだ? ことしの年次大会の話か?」と、何も疑うことのない明るい声ででられたが、「いや、ちょっとそちらのほうに出かけるものですから、ちょっと寄らせてもらっていいですか」と、肝心なところはむにゃむにゃと曖昧に答えるしかない。

 9年前、専務理事だったNさんに情報システム研究委員会の委員にと全国のフィールドへ引っぱり上げてもらって以来、年次大会の構築などもふくめて、とにかく「得難い」経験をたくさんさせてもらってきた。昨年11月に理事長に就任されたこともあり、これからもしっかりと支えていきたいと思ってきたのも事実だ。

 でも、結果的にきょう話さなきゃいけないことは、そのご恩に対して、ある意味「恩を仇で返す」ような話だ。切り出すのはとても気が重いのだが、わたしの中ではキッパリと決断したことだから、いつまでも曖昧にしておくことはできないし、あちこちに与える影響についてご判断を仰がなくてはいけない。だから、とにもかくにも「いの一番」にこの方に聴いていただかなくてはいけなかったのだ。

 「残念だ」となんどもなんども言われ、「これからも一緒にがんばっていこうと思っていたのに」とも、「腹を割って本音をぶちまけられる奴がまたいなくなってしまう」とも言われた。でも、すべての思いを話し終えたところで、「でもな、個人的には応援するぞ。いい話だし、よかったな。」と言われる。なんて器の大きい方なんだろう、なんて度量の広い方なんだろうって、この方のもとで仕事ができたこと、この方と知りあえたことを、つくづく幸せに感じる。絶対にこぼすまいと誓ってでかけた涙があふれそうになり、ぐっとくちびるをかみしめた。

 「嘘だろ!」とか、「何言ってんだ!」とか、叱責を受けるのを覚悟していたが、けっして非難めいたことも責めるような言葉もでなかった。それが余計に申し訳なくてしかたなかった。帰りの電車、まだ高校生も多い車内だったが、ビールをあおらずにはいられなかった。

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◆2005年3月16日

 じぶんで言うのも変だけど器用貧乏というか、化粧品組合における仕事は、あれもこれもじぶんのもとに集めすぎてしまっている。これからどんどん後継者へと引き継いでいかなくてはいけないが、突然のことだけに多大な迷惑をあちこちに与えてしまいそうだ。

 月曜日には全国の部分(全粧協)についての区切りを表明したに過ぎない。地元愛知県でもかなりの仕事を手元に集中させてしまっている。このことについては、やはりじぶんの口から愛知の理事長に伝えなくてはいけないと思っている。全粧協理事長のNさんにもそのようにお願いしてきた。

 また、お客様への周知徹底の期間を考えると、そろそろ取引メーカー各社にも通知をしなくてはいけないタイミングとなっている。愛知の理事長にはメーカーより先に伝えなくちゃと思っているから、結構、日にちがなくなってきている。

 そして、いちばん切り出しにくい相手がひとり先送りになっている。彼の反応を想像すると、なかなか腰が上がらない。それは、化粧品屋さん仲間の唯一無二の親友だ。

 こうして、わたしたちの中では5月末閉店が既成事実と化しているが、ふと不安になったりもする。10日の上京からやがて1週間、条件提示は3月末までにとはいわれてきたけれど、ホントに話にでていた年俸を保証してくれるのだろうか・・・。いくつかのピースが同時に埋まったことで大きく動き出した50歳の人生設計図だけど、この「年俸」という前提が崩れたら空中分解である。

 そんなわたしの不安を察してか、今夜、I社のYさんからメールが届く。そこには「基本年俸を保証する」と書かれてあり、ささやかではあるけれど月に一度の名古屋往復に係る費用についてもつけさせていただきますと書かれていた。

 なんだか、気持ちが行きつ戻りつしているのがみっともない感じだが、それほどに今回のことは、ドラスティックな変革だということだ。

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◆2005年3月18日

 S社の担当者が、間取り図も含めた具体的な建築のプランを持ってきてくれる。具体的な提案は2社目だが、あらためて2枚を並べるまでもなく、今回のほうが優れているというのが歴然としている。間口が狭く奥が深いという土地の形状をよく計算し尽くしたものだと感心する。

 ただ、資金計画(経営計画)には気になることが多い。まず、当初の自己資金をわたしたちの想定より多く見込んでいること。なおかつそれをもってしても建設費のローン返済がギリギリなのだ。家賃を相場よりもかなり低く見積もっていたりはするのだが、それにしてもこの資金計画では、おいそれとGOサインを出せない。もちろん、30年先のことなど誰にもわからないのだからと、机上の計算で「甘い見込み」を出されても困るわけだけど・・・。また、話が行きつ戻りつする。

 ファイナンシャルの面では、月曜日に話をしたA社のほうがしっかりしているような気がする。いずれにしても4社のプランが出揃ったところで、家族会議を開いてまずは2社程度に絞り込んでコンペをさせるという方法もあるのかなと思ったりもする。

 建設方法だの耐震性だのといった基本性能に関しては、各社それぞれの特許工法などがあるようだが大きな差違はなさそうに思う。でも、具体的なプランがでてくると、微妙な作り込みの部分に各社のカラーや個性がにじみ出てくるようだ。今まで、住宅展示場に足を運んだことはいちどもないが、テレビCMや新聞広告などに触れる中で、自然に思い描いていた各社のイメージというのが、パースに表れてくる感じがする。

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◆2005年3月19日

 う〜ん、困った。埋まったはずのピースがひとつはじけ飛ぶかもしれない。

 内輪の恥をさらすようだけど、ここはひとつ正直に書いておこう。こんどの人生設計図のひとつが、廃業とともにガタのきている店舗の建物を取り壊して、隣接する母の土地も使わせてもらって賃貸併用住宅を建てようというものだったことは、これまで書いてきたとおりだ。ただ、厳密にいうとガタが来てしまっている築40年の店舗の建物の他に、築18年の平屋の建物がピッタリと隣接して建っている。ずっとお店の2階住まいだったのだが、身体が不自由になった母のためと、じぶん自身もからだが弱ってしまったので、地面の上(1階)に住みたいと父親が建てたものだ。

 こんどの計画を実現するためには、この平屋の建物も取り壊す必要がある。このあいだの話し合いでは「わかりました」と言ってくれていた母だったが、その母の気持ちをキチンと聞いてみるからと言っていた妹によれば「やっぱり、おじいちゃん(父)がわたしのために建ててくれたこの家で死にたい」と言っているというのだ。そして、それをうけて妹は「お願いだから、おばあちゃんの気持ちをくんであげて」と言う。

 まだ、具体的なプランがでてきていないザクッとした計画段階での話だったし、わたしのものの言い方が紋切り型で「こうしなきゃやっていけないんだ」というように聞こえたのかもしれない。こどもたちと同様に、余計な心配はかけたくなかったから、これまでお店の苦しい現状については話してこなかった。いきなり「厳しい」現実を突きつけられても、もう現役を退いてからのほうがお店を切り盛りしていた期間よりも長くなってしまっている母には俄には信じがたい話だっただろう。何せ母が倒れる前の化粧品店というのはもっとも華やかな頃だったのだから。

 「本音を言えば自分たちが築きあげてきたお店だからつぶしてほしくない」とも言ったというが、心情はわかるがこれは譲れない話だ。わたしだって、もう30年近く化粧品店の仕事に関わってきたのだ。そして、この家業のおかげでこどもたちも育ててきたのだし、家族の営みを続けてこられたのだから、誰も好きこのんでつぶしたいと思っているわけじゃない。退職金もない、国民年金しかもらえないという自営業者としては、わずかばかりの今の蓄えを食いつぶしていくようなことでは困るからなのだ。

 「おばあちゃん(母)も含めた今の家族の生活がこの場所で継続できること」を前提としてと言ったことが、面倒をみてくれるというのはうれしいが、そのために新しく建てる住まいに部屋を「造ってやるんだ」とか「一緒に暮らしてやるんだ」というように受け止めたようなところがあるのだろうか、わたしは何もできない「お荷物」だからとひけめを感じているようだとも妹は言う。毎日一緒に暮らしているのに、わたしたちにその「本音」を語れない、語らないというのもそこに遠因があるのかもしれない。そんな意図はこれっぽっちもないんだけどなぁ。

 この平屋を建てたときに、台所やお風呂などの水回りはこちらに集約している。わたしたちも毎日使っている。だから、父がつくってくれた家に住みたいというのは、そこが唯一の「砦」のような思いでいるのかもしれない。

 父が描いた人生の設計図(思いのほかじぶん自身が早くその図からいなくなってしまったが)に沿ったこの家ではあるけれど、こんどわたしたちがじぶんたちの老後に向けての人生設計図を描くにあたっては、母も含めた今の家族の生活がこの場所で継続できることをあたらしい家に置き換えることと考えていたのだけど、「心情」「感情」で拒否されてしまっては身動きがとれない。この平屋を残したままでは賃貸併用住宅を建てることがままならないということだけではないのだ。このぴったり隣接するかたちで建っている平屋をのこして店舗の建物だけをキレイに壊すということがむつかしいからなのだ。

 つまり、平屋を壊すことを拒まれたら建物に関する計画はすべてご破算ということなのだ。妻は「いやがるものを無理強いして住み替えさせて、その思いをひきづったまま一緒に暮らしていくのはイヤだし、壊したくないというのなら計画がご破算でもいいじゃないの。」と言ってくれた。「唯一の兄弟の妹とも感情的にこじれたくないでしょ」とも。

 正直、情けなかった。ひさしぶりに悔し涙を流した。母親の心情はわからないでもない。でも、妹からゼロ回答を突きつけられるようなことになるとは思ってもみなかった。もし、そういう「本音」を母が口にしたとしたら、でもね・・・と、諭してくれるくらいだと思っていたのだ。まぁ、考え方はひとそれぞれだからしかたない。

 2つの母の心情のうち、お店の件は譲れない。これは妹もやむを得ないとわかってくれたようだ。もうひとつの心情の件については、これならという具体的なプランができあがったところで、こんどは妹も交えた中で、「こういうプランもあるのだけど」とご相談というかたちで持ちかけてみようと思う。おそらくそのプランは建物はおじいちゃんの建てたものではなくなるけれど、地面(1階)に住んで、鉢植えの花やちょっとした土いじりができる今の暮らしとかわらないものとなるはずだから、少しは耳を傾けてもらえるかもしれない。そして、断定的なものの言い方はせず、無理強いもせず、説得するんだという姿勢もとるのはやめよう・・・と思っている。

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◆2005年3月20日

 きのうは、気持ちは決めたもののやっぱり悔しさはぬぐえず、ちょっと飲みすぎてしまった。いつもより1時間寝過ごして、朝、走りにでることができなかった。でも、もうこれでいいって思いはふっきれているし、二日酔いもないから頭はスッキリとしている。

 このところ、くる日もくる日も「人生の設計図」話をしつづけている妻と、基本的な方向性で齟齬がないというのがありがたい。きのうの話なんて、妻にしてみれば「なんで!」「どうして!」って言いたくなる話だったに違いない。なのに「まぁ、もしダメって言われたらしかたないじゃない。」って言ってくれるのが心底ありがたい。でも、それだからこそ、なんとかいいかたちにしてあげたいと思うのだ。しかし、ここは肩に力を入れすぎちゃダメって自らを戒めている。

 きょうはA社に誘われた「賃貸住宅経営」に関するセミナーと現地見学会だった。こんな事態になるとは思っていなかったので参加を約束していたのだ。もし、今はダメでもいつか役に立つこともあるだろうし、何事も勉強と出かけてみた。妻も行ってみればいいじゃんと言ってくれたし・・・。

 自社のよい点しか言わないのは当然だけど、それでも品質・技術力・提案力、その話のすべてに「自信」がみなぎっているところがすばらしい。プランの比較検討段階では、この揺らぎない自信を見せられると、かなり優位にはたらくのだろうなぁと感じ入った次第。仕事はこうでなくちゃなぁと、わが身のふがいなさを少し恥じたりする。

 賃貸を「経営」として長期的にキチンとした計画を立ててシミュレーションしなくてはいけないというのは、ここ3週間ほどのにわか勉強でもよくわかった。そして、パッと見、おいしい話にはかならず何か隠されているものがあるということもわかってきた。今後役に立つかどうかはわからないが、たしかに「何事も勉強」である。

 きのうのつづきとなるが、やっぱり、これならという具体的なプランができあがったら、もういちど「こういうプランもあるのだけど」と、ご相談というかたちで持ちかけてみようと思う。だって、いいよぉ、やっぱり新しいおうちって!

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