一歩目は踏み出せず

 

◆2004年12月

 エントリーを済ませたからといって、まだいちばん外の扉を開いたに過ぎない。でも、次のステップを考える(夢見る)というのは人情というもの。書類選考に通れば、次は人事部による面接ということになるのだろう。どういう面接となるのかはわからないのだが、その時にプレゼンができればと新規事業のプランを考えはじめる。

 なんとなく先行きに明るさが見えたような気がしてウキウキしてくるのは、気が早いし身の程知らずなのだが、あれこれ考えるのは楽しい。もちろん、日々の生活はあるわけで「お正月のお餅代」を稼ぐためには、年末商戦をがんばらなくてはいけない。全粧協の仕事が一段落したこともあるし、心の底に秘めた「野望?」があることもあってか、ここしばらくではいちばん力が入っているのを感じる。

 12月1日。次男が11月23日に受験していた「一般公募推薦入試」の合否の発表日。志望校志望学部に一発で合格を決めてくれた。来年4月からは大学生としての生活がはじまることになった。幸いにして、彼の4年分の学費についてはなんとか学資保険で賄うことができそうだ。今でこそ、将来に向けての蓄えはまったくできないといっていい状況に陥っているが、昔は少しはこうした貯蓄も苦しいなりにできていたのだ。ただ、長男と同様におこづかいについては、じぶんでバイトをして稼ぎ出してもらうというのがお約束事だ。

 あっという間に3週間が過ぎ去る。サンプルの宅配もして満を持して迎えた年末商戦は暖冬もあいまってか、どうも不発気味である。期待に胸をふくらませて毎日待ち続けている F社からのメールも一向に届かない。遠くにくっきり見えていたような気がしていた一筋の灯りが、霞の向こうに消え揺らいでいくような思いがする。つれてお店の仕事に向けるテンションも低下気味。余計なことを考えてもしかたないのでと、DMの中身を黙々と折りつづける。手は忙しく動かしても思考は止められない。ネガティブに傾きがちな思考を首を振っては元に戻すというような午後を過ごしたりする。

 クリスマスを中心とした6日間は、うちのお店にとって年間でいちばん経費も手間暇もかけるイベント「抽選会」だ。ことしのここまでの経過から昨年の95%程度で準備をしていた景品だったのに、それが予想以上に残ってしまうという結果に、市況の厳しさをあらためて思い知らされる。いや、市況などといってはいけないのかもしれない。うちのこれまでの努力不足がこの結果を導いているだけなのかもしれないから・・・。

 抽選会が終わるといよいよことしも残り数日。駆け足のように日々が過ぎ去っていく。F社からのメールはあいかわらず届かない。時間がかかっているのだから「門前払い」ということではないはずだ。これはもしかして吉兆?などと都合のいいことを考える。その反面で、評価が高ければもっと早くに次のステップに進むような話があるはずだとあきらめの気持ちも強くなってくる。

 年々、客足が切れるのが速くなってきた大晦日。朝降りはじめた雨はみぞれに、そして雪へと変わり、お昼頃には道路がシャーベット状になる。そんなお天気のせいもあって、ことしはいちだんと速く客足が途切れた。1年の営業の終わりにていねいに掃除機をかけるが、平成元年の全面店舗改装からそのままのフロアカーペットは、あちこちで浮き上がってきているところもあるし、元々の色が濃いグレーだから目立たないけれど、相当に汚れが積み重なっていることは明らかだ。これを全部入れ換える店舗改装なんてことを考えると気が遠くなる。そんな重苦しい気分を閉じこめるように2004年のシャッターを下ろす。夕方、西の空にかすかに見えた夕陽の光は、来年へつながる明るさだと信じたいとところ。

 F社の目はもうないだろうなぁ・・・と落胆しつつ、もしかしたらあそこならという儚い夢を抱きながら、除夜の鐘を聞く。

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◆2005年1月1日

 あざやかな冬晴れの元旦。朝の最低気温は0.7℃。空気がピーンと張りつめていて清々しい。

 町内にちいさな神社がある。人がふたりも入ればお尻がぶつかりそうな小さなところだが、毎月1日と15日に、町内の各家庭が順番にお供えをしてお守りをしている。きょう1月1日の当番がうちだった。お正月早々、こうしてご奉仕できるということは、何かいいことがあるかもしれないと思わせてくれる。

 日の出前に、海のもの地のもの山のもののお供えと、御神酒、御洗米、塩を供えに行く。あわせて落ち葉などを掃き清めてくる。結婚して25年、たしかこれが2回目の元旦の当番だと思う。前回の当番の年がどうだったかは覚えていないが、なんだか、ことしはよいスタートが切れそうなそんな1年のはじまりとなった。

 8時過ぎ、初日の出を見にいっていた次男の帰りを待って、ことしも家族揃って熱田神宮へ初詣、清々しい気持ちで垣内参拝。出かける時の車の中、年の初めにいちばん最初に聴く曲はEaglesの「Take it Easy」と決めている。これまでずっと長くそうしてきたが、1年間が「Take it Easy」だった年はなかった。

 2005年、4月には50歳の大台を迎える。何かにトライすることも、新しい一歩を踏み出すことも、おそらくこれが最後のチャンスとなるだろう。悔いを残さないような1年にしたい。そんな思いに充ち満ちた元旦だ。

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◆2005年1月2日

 初夢は苦々しいもの(?)だった。 全粧協の長になった愛知のNさんと、同じく全国の専務理事になった愛知のYさんとどこかでいっしょに食事をしているようである。いつもパワフルで仕事熱心なおふたりは、「こんどはあれをしなくちゃいけない」「これも準備していかなくちゃいけない」と口角泡を飛ばすようにしてこれからのことを語り合っている。そのとなりのわたしはといえば、耳でその話を聴きつつタヌキ寝入りをしているのである。何かを言えば身にふりかかるのは常。「なぁ、いとうくん」と同意を求められれば、返事をせざるを得ず、「そうですね」と答えようものなら、任されたも同然・・・。

 誤解がないようにしてほしいが、全粧協で任されてやっていることに対して、けっして「仕事をしたくない」とか「もうかかわりたくない」ということではないのだが、初夢からこんな夢か・・・と、目覚めた時に肩や首に重いものを感じたことは事実だ。

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◆2005年1月10日

  恩田陸の「夜のピクニック」を読む。昨年の夏に新聞の書評を読んだあと、書店で平積みされているのを見て買ってあったハードカバーだ。

 読後にほんのりとしたノスタルジーと、ちょっとだけ癒された気持ちとが入り交じってとても幸せな気分となる1冊だった。1人称で主人公の心の動きや思いの丈をもっと熱く吐露するような筆致だったら、できの悪いテレビの青春ドラマみたいに胸くそ悪いものになっていたのだろうけれど、恩田陸の筆致はきわめて静謐で、すこしずつしみ入ってくるようだった。

 もともと「青春もの」に弱いもうすぐ50のおやぢとしては、決まり切った毎日のくり返しをしている大人たちにも、そして、いままさにその時を生きている高校生たちにも読んでほしい一冊だ。と大いに推薦したい気分だ。

 ひとつのことを成し得るためには山もあり谷もある。中には回り道をせずにまっすぐ目的地にたどり着く人もあるだろう。迷いに迷っていちどスタート地点に戻ってやり直そうという人もあるだろう。ある年齢からは、新しい一歩を踏み出すことを躊躇うようになることもあるだろう。でも50歳で守りに入ってはいけないはず。やっぱり踏みだそう、走りだそう、歩き出そうと誓う読後のわたし。

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◆2005年1月13日

 17:19 すっかりあきらめていたところにF社からのメールが届く。結果は・・・予想どおりだった。

 「今回の貴方様のご応募に際しましては、慎重な検討を重ねてまいりました結果、誠に残念ではございますがご希望に添いかねる旨をお知らせする事となりました。

 弊社にとって大きなチャレンジをしようとしているこの時期に、関心をもってご応募くださったことは、本当にありがたく、また心強く受け止めさせていただきました。それゆえに、検討には慎重を期した結果と何卒ご理解くださいますようお願い申し上げます。

 また、今回は非常に多くの方からご応募をいただきました結果、きわめて厳しい選考となりましたこと、ご了承賜りますよう重ねてお願い申し上げます。」

 ことばは丁寧だが、もうこれでおしまいというのが現実だ。わたしへの評価は全粧協という限られた世界の中だけのものだということを再認識させられる。

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