はじめの一歩

 

◆2004年秋

 駅前でもない、商店街でもない、近くに集客力のある食品スーパーもない、そんな住宅街立地の「街のお化粧品やさん」はとても厳しい・・・。

 ここ2年間、全粧協(全国化粧品小売協同組合連合会)の年次大会の内容構築のために、加盟店のアンケート調査を分析したり、全国各地のお店を伺ったりしてみて、「街のお化粧品やさん」の置かれている厳しい実情は痛いほど実感できた。もっとも、あらためて実感するまでもなく、それはそのままじぶんの店の苦境そのものだった。

 そんな中で、お店の奥さんの人間味を打ち出したり、あたりまえのことのように思われている接客をさらに愚直に徹底したり、あるいは、敢えてわれわれを苦境に追い込んだ量販店やドラッグストアと同じ土俵に乗って「火中の栗を拾う」方策など、2年にわたって勝ち残り(生き残り)の道を提案しつづけてきたわたしだ。

 取材や内容構築の作業から名古屋に戻って、じぶんの店を見つめてみると「言うは易く行うは難し」ということばが頭に浮かぶ。二代目として与えてもらった、当時としては恵まれた環境が、今は足かせとなっている。

 かつては、洋裁手芸用品やら文房具なども扱っていた「まちの万屋」からスタートしていたこともあって、化粧品店としては破格の器の大きさがある。そこを化粧品だけで営業していて、しかも天井が高いということも相まって、「開放感がある」といえば聞こえがいいが、常に人が入っているわけではない店内は、がら〜んとしていて外から見て活気が感じ取れないし、人の温かみも感じられない。

 某メーカーの地元支社の支社長からは、思い切って三分の一くらいにお店を縮小して、外からお店のサービスや、奥さんや店長(わたしのこと)の人柄やぬくもりが感じられるような店づくりにしてはどうかという提案をもらっている。応分の費用は持たせてもらいますよというありがたいお話だ。

 店舗改装をして心機一転というのも考えていないわけじゃない。ただ、じぶんで言うのは情けない話だけど、そこまでの「熱」が、今わたしたち夫婦にないというも事実だ。じりじり追いつめられていく状況の中で、手をこまねいていたわけではない。でも、それがほんとうに死にもの狂いだったかと言われれば、うなだれて首を横に振るしかない。

 化粧品店のもっとも重要なキーパーソンである妻は、その仕事だけに専念できる環境であったならば、きょうのお店の姿は違っていたはずだ。じぶんの親、そして同居のわたしの親の面倒(介護)があり、さらに母、一家の主婦としての仕事もありつつの「お店の奥さん」業に多くを望むのは酷だ。ちょっと息をついた時、大好きな「お絵かきロジック」に興じている姿に、そんなことをしている時間があったら、掃除したり、お店の装飾を替えたり、お客様にお礼状を書いたりしたらどうだ・・・とは言えなかった。

 かく言うじぶんだって、仕事ぶりを認められることが「男子一生の本懐」とばかりに、全粧協の仕事にのめり込んでいた。たしかに、街のお化粧品やさんのある種「髪結いの亭主」で終わる人生よりは、期待され、それに応えることで認められるという「生きがい」「やりがい」のある仕事は楽しかったし、手応えも充実感もあった。しかし、この仕事は収入を生まないのだ。そして、裏を返せば、それに時間と労力と思考力をつぎ込むということは、それだけ本業である「街のお化粧品やさん」の収益力を削いでいくことに通じているわけだ。

 じぶんの土地の上に建っているじぶんの建物での営業だし、妻とじぶんだけで営業しているわけだから、これまで続けてこられたのだが、ここ数年は「大赤字」にこそならないものの、将来に向けての蓄えは残せないという綱渡りの経営状態がつづいていた。毎月5日の各社の支払(口座引落)日が近づくと、口座残金と日々の現金収入とを1円単位まで計算することが、悲しいかな毎月の定番業務となっていた。

 蓄えのできない日々の中で、突発的な支出があると手元のお金では乗り切れないことも常態化してしまっていた。先のメーカー支社長からの「店舗改装」のありがたい提案も、メーカーからの支援だけでは完結できないわけだから、当然借金を抱え込むことになる。それを返済していくだけの収益性がはたして見込めるだろうか。

 加えて、店舗の建物は築40年のわりに傷みが激しく、こちらの建て替えというとんでもなく費用のかかる話も日に日に現実味を帯びている。もともとが倉庫や工場の建設が得意なところに建ててもらっていたこともあって、あとから作り足した住まいの部分では、ちょっと強く雨が降るとしみこんだ雨水で壁土がくずれはじめる。床のひずみなども目立ってきた。外壁の塗装のくすみは目を覆うばかりだ。店舗の改装に投資をする以前の問題としてこちらを真剣に考えないといけないというのが、夫婦の暗黙の了解となってきた。

 11月16日、大阪で行われた「全粧協年次大会2004in大阪」。壇上から「街のお化粧品やさんが勝ち残るためには」と檄をとばしながらも、わたしの心の中には、化粧品店の廃業、そして転職という考えが頭をもたげていた。大会が無事終了し、参加者や臨席いただいたメーカーの人たちから、大きな評価を得る。それは、業界という「小さなコップ」の中のことでしかないと承知していても、それをもって新しいフィールドへ羽ばたきたいという思いが大きくなっていくことを止めることはできなくなった。

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◆2004年11月14日

 転職って簡単に言ったって、49歳という年齢もさることながら、学歴も職歴もないわたしには容易ではないことは歴然としている。じつは、こっそりと転職サイトに登録していたのだが、「ご希望に沿った採用情報がありました」とメールで送られてくるものといえば、プロジェクトマネージャーのような管理職経験が必要とされたり、海外化粧品メーカーの日本法人だからと英語やフランス語の能力が求められたり、流通業でのスーパーバイザーの経験が必要だったりした。

 「街のお化粧品やさん」の自営歴では如何ともしがたいハードルがそこにある。と同時に、全粧協での「活躍」「評価」などは、まったく考慮に値しないものだということも思い知らされる。大いなる思い違い、思い上がりといったところか。

 11月14日(日)の日本経済新聞34面。「もう一度、挑戦者になります。」というキャッチコピーが踊る「F社」の全面広告は、わたしの心をゆさぶった。「世界一のカジュアル企業になるために次世代のリーダーを社運をかけて募集します」という求人広告には、資格として45歳くらいまでとは書かれていたものの、実務経験者優遇の文字以外に、学歴や職歴を求める記述はなかった。

 大阪の年次大会の後すぐに出かけた福井での女性部のセミナー講師をやり終えて、F社のリクルートサイトを開いてみる。たしかに「学歴」は不問である。しかし、街のお化粧品やさんという職歴だけでは、「次世代のリーダー」を担うというのにはあまりにも貧弱だ。全粧協での9年間をどうアピールするかがカギとなりそうだ。勝算はない。でも、ダメもとでトライしてみる価値はないか? 自問自答の日々を送る。

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◆2004年11月29日

 定休日の月曜日。あらためて「採用情報」のサイトを隅々まで読み返す。Q&Aには「応募に際して年齢制限はありますか」という問いがあり、それには「ございません。ご経験を重視させていただきます。」の回答が寄せられていた。

 希望職種を決めるのにまずひとしきり悩み、決めてからもエントリーフォームに何度も何度も書き込んでは書き直し、ページトップに戻っては時間をかけてゆっくり読み返して・・・と繰りかえした末に、エントリーフォームの「送信」ボタンをクリックした。

 ほどなく、応募を受け付けた旨のメールが届く。そこには、採否の回答については、およそ2週間後にメールすると書かれていた。

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