2006年1月

 生活編
 仕事編


  人生の中でたぶんもっとも激動の1年だったであろう2005年が終わり、あたらしい年2006年がやってきた。あたらしくなった自宅でおだやかな元旦を迎えたが、この1年ははたしてどんな1年となっていくのだろうか。

 ことしは「戌年」とあって犬好きの方には絶好の愛犬自慢のチャンスだったようで、年賀状には犬の写真、百花繚乱という感じ。申し訳ないけれど、犬は好きじゃない(その昔、飼っていた犬に噛まれたこともあったので)わたしとしてはその気持ちがよくわからない。

 こどもに手がかからなくなったとか、こどもが相手にしてくれなくなったので、今は犬がこどもがわりというコメントが書かれた年賀状も多かった。わかるような気もするが、なんかさびしい感じがする。わたしもたまにうちに戻っていてもこどもたちを会話が弾むというわけではない。でも、離れて暮らすことで逆に通じ合っていると思えるものがある。ことしも単身生活が続いていく予定。ひきつづき「楽しんで」いけるかなぁ。

 「楽しんでいる」単身生活の中でも、自炊にはじぶんでも意外だけどはまっている。お昼の時間が思うようにとれないこともあって、毎日おにぎりを作って持っていくようになった。昨年化粧品組合でお世話になったNさんからいただいた焼き海苔が役に立っている。1月半ばからはときどきおかずも持っていくようになった。少しずつ手際がよくなっていくのがわかる。おかげで(といっていいのか)2kgは確実に体重が増えた。


◆生活編

■元旦

 元日の朝は自営業だった昨年とかわらず、家族揃っての熱田神宮への初詣から。ことしも8時半の御垣内への参拝がはじまる時間にあわせて出かけたのだけど、例年よりも人の出足が早いようだ。それにあわせてなのか、御垣内参拝も時間を繰り上げてはじまっていた。「苦しいときの神頼み」というけれど、去年からことしにかけては景気ってよくなってきているんじゃないのだろうか? 下々の世界ではまだまだ実感を伴っていないということなのかな。

 お昼過ぎ、お墓参りにでたついでに本日から「初売」のスーパーに立ち寄ってみる。スーパー各社は、きのうすでに初売りのチラシを入れていたところもあるし、昨夜のテレビでも各社入り乱れて大量のCMが流されていた。わたしが自営の化粧品店に関わりはじめた頃は、元旦しか休まず2日にはお店を開けていた。その昔、両親がお店を始めた当時はは元日も休んでいなかった。それが、結果的に最後のお正月となった昨年は5日までお休みしていた。個人店では年々開けていてもお客さまが見込めなくなっていて、ならばと割り切ってきていたのだ。

 いつの間にか立場が逆転した個人店とスーパーだけど、それをきょう立ち寄ってみて痛切に実感する。元旦から出かけるところとしては、スーパーの入ったshopping mallというのは家族連れには最適なのかもしれない。福袋を物色し、テナント店をひやかし、ぶらぶらと買い物して回って、スターバックスやマクドで軽くおなかを満たして、最後に何か食べ物を買って帰る・・・。散財さえしなければ、これはなかなかよいひまつぶしだろう。こうした時間のつぶしかたができない分、個人店に勝ち目はないわけだ。

 いままで「福袋」というものに興味のなかったわたしだが、たぶん生まれてはじめて「福袋」の購入を体験した。小売業をしていたこともあって、福袋というものにはちょっと懐疑的な思いもあった。何万円相当のものが入っているといっても、かならずしも欲しいものが入っているとはかぎらないし、聞こえは悪いが捨てるよりはマシというようなものが突っ込まれているというイメージもあった。

 とりわけ、何が入っているかは開けてのお楽しみという本来の「福袋」にいたっては、くじ運の悪いじぶんを思うとおよそ触手がのびなかった。そんな感情を流通側も感じ取ってきたのであろう、ここのところ、中身はコレですと明らかにした福袋が増えてきたようだ。わくわく感は欠けるかもしれないが、これはハズレのない買い物だ。ただし、中身を作る流通側、メーカー側の苦労は推して知るべしだ。

 前置きが長くなったが、わたしの福袋初体験は某スポーツ用品ブランドの10000円也のもの。買いたいと思っていたグラウンドコートが入っていたことと、これはいらないというものがなかったということが決め手となった。名古屋人大好きの「お得感」はしっかりあったのではと個人的には納得しているけれど、ほんとうにお得だったかどうかは微妙かなぁ。

■1月3日

 ことしの「箱根駅伝」。順天堂大8区の大失速、同じようにちょっと危ない状態だった駒澤大のアンカー。テレビの論調は「タスキをつなぐ」ということをことさら美化していた。移動中継車のアナウンサーは涙声だった。心情的にはすごく理解できるが、走るのを止めさせる判断もあってしかるべきではなかったのかとも思う。と書きつつも、夢遊病者のようになりつつなんとか歩くようにしてタスキを中継所まで運んだ順天堂大の難波くんにウルウルしたのも事実。

 偉そうに書いたものの、この6日間のお休みに結局1日も走らなかったわたし。29日のハーフマラソン、来月の青梅マラソン30kmに黄信号がともっている。わたしこそ勇気ある決断が必要なのかも。

 年末年始でのUターンをはじめて体験。名古屋〜東京の指定席など楽勝だろうと考えていたけれど、Uターンラッシュのピークというのがどういうものかというのは想像以上だった。なんとか年末のうちに指定席はおさえたが、きょうの上京は往きと同じく「ひかり」。しかも3人掛けの真ん中のB席しか取れなかった。氷川台に戻れるのは23時半くらいになりそうだ。

■1月5日

 今夜の夕食は大根と豆腐を湯がいて、それを味噌おでん風にしていただく。こんな時役立つのは「献立いろいろ味噌」だ。名古屋の家庭にはほぼ常備されているだろう赤だし味噌の調味料だ。カツにかければみそカツになるし、今夜のような味噌おでんにはもちろん、さばのみそ煮にも使える重宝なやつだ。東京のスーパーで見かけることはできなかったので、このお正月持ち帰ったもの。これからは名古屋の味がこちらでも再現できそうだ。(あ、けっして里心がついたわけではない) ことしも自炊を「楽しむ」つもり。レパートリーを増やしていきたいなぁ。

■1月6日〜8日

 昨夜22時20分。退社してビルを出ようとするところで叔母の訃報を受けた。金曜日に通夜、土曜日が告別式ということだったので、金曜日会社からそのまま品川に向かい、最終の「ひかり」に乗った。3連休前の名古屋行き最終ひかりは7割程度の乗車率。3日前に戻ったばかりの東京から名古屋へ。ちょっと罰当たりだが、ここだけの本音この臨時出費はちょっと痛い。

 7日、叔母の葬儀に参列した。一宮市まで出かけたのだが、雪が心配だった。朝、起きたとき(といってももうずいぶん陽が高くなっていたのだが)には、車の屋根にうっすら積もっていたという雪も溶けていた。ネットで調べると名古屋高速も東名阪も通行止めにはなっていなかった。

 叔母は農業をしていたので、子供のころから時々野菜を背負って訪ねてきてきてくれていた記憶がある。晩年は病気との戦いだったけれど、私の父(叔母にとっては弟)が亡くなった後、法事などで顔を合わせると「ひでちゃんはすーちゃん(わたしの父のこと)にそっくりになったのぉ」と言っては涙ぐんでいた。

 葬儀には土地土地のやりかたがある。(母の実家の火葬場での酒盛りにはびっくりした)宗派によっても違いがある。叔母の住むあたりではまだまだ自宅で葬儀を出すのがあたりまえのようだ。葬儀そのものは葬儀社の方が仕切るのだけど、全体は「こうぐみ(講組と書くのかなぁ?)」の方たちが仕切っている。火葬場から戻ると、その講組の人たちがお仏壇の前に勢揃いして菩提寺の住職とともにお経をあげてくださる。むじょうきょう(無常経と書くのかな)と言っていた。そして、まず住職とその講組の方を「ご近所隣組」の方で接待をする。その後、お茶だしやお留守番などのお世話もしてくださったそのご近所隣組の方を、家族と親族が接待をする。そして、最後に家族と親族が食事をするというのが習わしだ。

 そんなわけで、13時からの告別式からはじまって、すべてが終わって叔母の家を出たのは20時20分だった。でも、これでも叔父のときを思えばずいぶん早いほう。飲酒運転の規制が厳しくなってこうした席では酒盛りにならなくなったからだ。そのかわりに供養のうちと缶ビールをいただいてくる。

 親族での食事の席で「叔母は最後、みんなのことを考えてくれたね。」という話が出ていた。叔母の長男さんはおもちゃ屋さん。クリスマス、お正月は年間最大の稼ぎ時。12月にはいって容態は芳しくなくいつ逝ってもおかしくないと言われていたそうだけど、結局亡くなったのは1月5日だったからだ。逝くときにそう偲ばれる人生でありたいもの。

 叔母はいつも「しっかり者」「はたらきもの」と言われてきた。お骨を拾わせてもらったのだが、大腿骨も頭の骨もすごくしっかりとしていた。昔の人は強かったんだなぁ、甘えた環境に育ったわたしだったらたぶんもっとスカスカなのだろうなと思う。うちの子供たちの世代なんかはもっと心配だ。

 8日、夜20時10分発の「のぞみ」で東京に戻る。いつもは有楽町まで1駅移動して地下鉄に乗り換えているのだが、きょうは池袋まで山手線で移動してみた。JRから地下鉄への乗り換えで歩く距離が短い分こっちのが早いかも。

 このところ新幹線の移動ではビールを口にしない。べつにキライになったわけじゃないけれど、読書に時間をあてるには眠くなってしまうことのあるビールは不要というところ。きょうの帰りは新堂冬樹の「忘れ雪」を読みはじめる。先回の帰りと今回の名古屋までの移動では萩原浩の「神様からひと言」を読了した。

 この「神様からひと言」はサラリーマンに元気をくれるというふれこみ。苦笑いという感じのユーモアの中に「そうそう、そういうのってあるよね」といううなずきもある。とりわけサラリーマン社会をいろいろな具がぐつぐつ煮込まれるおでん鍋に例えたあたりと、お客さま相談室の心得3つはなかなかにして秀逸だった。

■1月9日

 3連休最後の日は東京で朝を迎えた。こちらにきてからずっと実現したいと思っていたことに明治神宮への参拝があった。なんせ毎日の乗換駅は原宿、帰りにホームに立つとすぐ前は明治神宮の森だ。初詣にはかならずと思っていたのを本日実現。午後2時スタートで練馬から走っていく。西武池袋線の練馬駅まで南下したあと、目白通りを東へ、中落合から山手通りを南下していく。

 東京は意外に坂の街だということはなんとなく理解しているが、山手通りも緩やかな上り下りの連続だった。明治神宮の参道の入り口までちょうど13km。情けないことに走り込み不足は明白。だんだん膝が重くなってくる。参拝を終えて帰りも同じコースをたどる。

 どこで走れなくなってもいいようにとお金だけでなく、定期券とパスネットカードとウインドブレーカースーツを背負ってでていた。帰路は中野坂上、東中野、中井と大江戸線の駅の入り口を見かけるたびにリタイアの誘惑に駆られた。新江古田まで戻ってきてからは何とか最後まで走りきろうと心に決めるが、その頃からますます走りは重くなる。信号で止められると、走り出すのに弾みをつけなくてはいけない感じになる。屈伸やストレッチをしながらだましだまし走ってくる。

 29日のハーフマラソンに黄信号が灯っていることには変わりがないが、何とか往復で26km走り切れたことは少し光明が見えたかなというところ。帰ってゆっくりストレッチで股関節や膝の筋をのばしておくが、あしたはちょっと階段がつらいかもしれない。ちょっと前にラン仲間の小児科医の先生に「走力は落ちはじめると早いよ」と言われたが、それを痛感したきょうのわたし。

■1月15日

 雨上がりの日曜日、羽毛掛け布団と毛布を日に干した。今夜は快適な眠りが約束されそう・・・って、毎日爆睡しているのだけど。

 夕食は「舌平目のムニエル」と「白菜とツナのサラダ」。メニューを文字にすると結構カッコイイね。舌平目もさばいてある切り身を買ってきただけだし、要は切り身をソテーしただけなんだけどねぇ。白菜のサラダはあしたの朝の分もできた。

 ユナイテッドシネマとしまえんのレイトショーで「スタンドアップ」を観る。このあいだ読んだ「忘れ雪」では泣けなかったし、そろそろ温かい涙を・・・と選んだのがこの映画。くわしい中身は書かないが、今、壁にぶち立っている人、変えたい変わりたいと思っている人にはこれはおすすめ! 「親子の情」に温かい涙のほうもはらはらと。ということで満足度100%。しかし、いくら日曜日の最終回とはいえ、380席に8人は淋しい。

 外に出ると小雨。自転車のサドルも濡れていた。0時すぎの静まった街を思いきりペダルを漕いでくる。7分で到着。こんな近くにシネコンがあることに感謝。さて、仕事のファイルには一切触らずにのんびりと過ごした日曜日もこれでおしまい。あすからのあたらしい1週間に気持ちを切り替えよう。

■1月17日

 阪神淡路大震災から11年がたった。あの日、名古屋でもかなりの揺れだったらしいが、前日化粧品やさん仲間としこたま呑んで帰ったわたしは、夜明け前のその揺れをまったく知らないまま爆睡していた。ねむい目をこすりながら起きだしたわたしの目に飛び込んできた衝撃的な映像に身震いしたことを覚えている。酔いも一気に醒めたものだ。

 2ヶ月経った3月、化粧品やさんの知り合いを訪ねたときのことも忘れられない。兵庫県に入ると途端に目に入ってくるようになった屋根瓦がわりのブルーのシート。降り立った街の土埃と砂まじりの風。ビンものの化粧品は見事に割れてしまったし、水道管が破裂して店の中は水浸しだったと事も無げに語る知り合い。自宅は被災したというのに、ひとときのやすらぎが欲しくてとお手入れに通ってこられたというお客さま。いつまでもくよくよしててもはじまらないと前向きな人間の力強さ・・・・

 きょうはライブドアの強制捜査、幼児殺害の宮崎勤被告への最高裁での死刑確定、ヒューザーの小嶋社長の証人喚問と「ニュースな一日」だった。震災の報道が10年の節目だった昨年よりもウンと小さくなってしまったのは残念だ。ホリエモンの記者会見の生中継でめざましテレビの星占いがとんだ。ライブドアがどうであれ、楽天やソフトバンクまでも「IT」とひとくくりにしてしまって、一事が万事とまるめてしまう風潮は何とかならないものか。今やライブドアは「IT」企業ではない。利益を追求しつづける事業会社なのだ。弊社もおなじカテゴリと思われているかもしれない。はなはだ迷惑なこと。

■1月21日

 積もりはじめた雪の中を朝帰り。昨夜は今月で退職されるNさんと親しい仲間たちでの呑み会。22時すぎに六本木で呑みはじめ、その後渋谷に移動して計3軒。壊れはしなかったけれどさすがに疲れた。2軒目の渋谷のお店は二次会、三次会向きの冗談の効いたお店。ビールのピッチャーが「尿瓶」だったり、ポリデントというカクテルには、その名のとおり入れ歯を入れて発泡させたりする。Yくんの頼んだミルクベースのカクテルは哺乳瓶に入っていた。それをおいしそうに飲んでいる画像もあるのだけど、Yくんのパーミッションがとれていないので掲載はしないでおこう。

 一日中雪が降り続いた。水分の多い雪なので降り続いたわりには積雪は9cmどまり。それでも、8年ぶりの積雪らしい。

 冷蔵庫が空っぽという感じなのだが、きょうは買い物に行かなかった。この雪でまた野菜が高くなってしまうかもしれない。今夜はパスタ。買い置きのツナクリームソースでいただく。大根とミニトマトのサラダも作ったが、これで野菜室も空っぽだ。

 夜はレイトショーで「THE 有頂天ホテル」を観る。最後までどうしようか迷ったけれど、夜になって雪が止んだので出かけることにした。さすがに自転車はやめて20分歩いて出かけた。車の通りがある道路は雪は解けていたけれど、道路端はまだまだしっかり雪があり、車道を歩いていく。住宅街の道へと角を回るとそこはまだ真っ白だ。あしたも影響がでそう。休みの日でよかったというところ。

 「THE 有頂天ホテル」はとにもかくにも三谷幸喜ワールド。満足度120%! イライラ、むしゃくしゃしている人には絶対お勧め。げらげら笑っているうちに、何にいらついていたのかなんて解消すること請け合い。

■1月29日

 朝はちょっと冷え込んだけれど、気持ちのよい青空がひろがった。いつもより早起きした。目覚めたときは日の出前だった。本日は「新宿シティハーフマラソン」。徐々に気温が上がってきて、風もなく最高に気持ちいいランニング日和になった。1月中旬、急ごしらえでなんとかこの日に間に合わせたという感じ。

 きょうは、弊社の今年度の新入社員のHくんと参加。彼は昨年11月の「河口湖マラソン」で初フルを体験。35kmから地獄をみたと言っていた。時々、社内でもランニングの話をしていたが、きょうも先輩面(?)してしまう。彼は朝から結構テンションが上がっていた。

 この大会は陸上の聖地「国立競技場」がスタート・ゴールというのが市民ランナーには最高の売り物。テンションが上がるシチュエーションだ。9時15分にHくんと並んでスタート。ずっと併走、10kmくらいからは少し息が荒くなってきて、足音もばたついてきたけれどちゃんとついてくる。このままいけば2時間を切れるよと目標を与えて引っぱる。

 15km過ぎて神宮外苑に入ってがっくりとHくんのペースが落ちた。少し貯金があるが、この落ち込みは厳しいなぁと思いつつペースを落として背中で彼をひっぱる。ラスト3kmからは、言っちゃあわるいけれどわたしにとっては「歩くようなペース」になった。もう2時間切りは絶望と思ったけれど、国立競技場に戻ってきて電光掲示板を見ると、なんとか行けそう。バタバタになっているHくんに声をかけバックストレートからグンとペースを上げる。

 結果、Hくんのゴールタイムは1時間59分55秒。ペースメーカーとしては大成功。気持ちのよいお天気の中で走れたし、わたし的には息があがる場面もなく楽に走れたし、いい1日だった。

 そのあとは、応援にきてくれた弊社における「娘」も加わって六本木でランチ。そして、Hくんとはとしまえんの「庭の湯」へ。昼間から露天風呂にも入って、もう極楽。いやぁ、ほんといい一日だった。

 スーパーに出かけるのはやめて、夕食は冷蔵庫の片づけ。タマネギのスープと納豆のお好み焼き風、白菜と水菜とツナ缶のサラダ。そうそう、庭の湯で体重計に乗ったら54.8kg。2kgは確実に太っている。たしかにジーンズはちょっときつかったりする。



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◆仕事編

■1月4日

 まだ明け切らない6時すぎに起きだす。寒い。練馬のアメダスは氷点下を記録していた。洗濯機を回し、トーストの朝食を摂る。めざましテレビの占いはアンラッキーの10位だった。ラッキーポイントはあたらしい下着だったので、お正月用に購入しておいたおニューの下着を身につけ7時半にうちを出る。

 世の中はまだまだお正月休みのところが多いようだ。地下鉄もJRもいつもの混雑はない。ざっと半分といったところか。新年の弊社はいつもより1時間早く出社しての全社ミーティングから始まった。業務に戻っても相手先がまだまだ休みというところが多く、そろそろと助走をはじめたというか、暖機運転をはじめたというところか。

 うちのグループも休み中のオーダーや問い合わせへの対応に忙しい人もあるが、総じてまだのんびりした空気が流れている。でも、あすは1月からの半期のすすめ方や、次の期に向けてのジャンプアップの態勢づくりのためのBrainstormingを入れている。いつまでもお屠蘇気分というわけにはいかない。他にもあしたはミーティングがつづく。ことしのステップアップに向けての助走が、ホップからステップに移っていくという感じかな。

■1月5日

 通勤電車にほぼいつもの混みかたが戻ってきた。弊社の入っているビルのエレベーターでは他社のかたと乗り合わせた。ようやく街中が動き出してきたようだ。わたしもきのうの暖機運転から、ゆっくりとアクセルを踏み込んだというところ。

 きょうはグループのメンバー全員で、今のじぶんたちの業務について、他にくらべて優れていると思われること、劣っていると思われることを列挙するブレストも行った。かなり収れんされてきたところで時間切れとなったが、みんなの思いがひとつのベクトルの元に固まれそうだ。ちょっと見えにくくなっていたビジョンを再構築しなくてはいけない。今月末にグループから2人が退職される。それを受けてどのように体制を組み立てていくかも直近の課題だ。

■1月11日

 きょうは以前のディビジョンで一緒だったOさんと「親娘」でランチ。自炊ではなかなか口にできないであろう煮物などの小鉢のついたランチを出す和食のお店に連れていってくれた「娘」の気遣いに感謝。今、彼女はあるプロジェクトを任されている。ちょっぴりアイデアを出してあげた次第。彼女のこれからのキャリアにおいてこのプロジェクトの経験は貴重な財産となるだろう。こうした思い切った起用ができるのもベンチャーのいいところ。でも、もう少しこのディヴィジョンで仕事がしたかったなぁ・・・と少しだけ「嫉妬」も。

 午後から夜にかけては、結構ヘビーなミーティングが続いた。新しくはじまる取り組みにはワクワクする。でも、既存の事業をより高みへ導くための取り組みは、ざっくりとした数字では語れず、単なる帳尻あわせというわけにはいかないし、精緻な論拠を重ねなくてはいかない。いくつか並行して走っている業務への対応の中で忘れていたデータの抽出があってちょっと焦る。加えて、揃えたデータも単なる結果の数値でしかなく、次なる展開の論拠になり得ていなかった。詰めの甘さを猛省。

■1月12日

 本日は携帯電話のショッピングサイトで大きな実績を上げている某社を往訪。先日、別の会社の方とあったときにも思い知らされたのだが、携帯電話への依存度の高い層が確実に拡がっているようだ。弊社のサイトでもページビューの伸びかたは圧倒的にモバイルのほうが高い。

 わたしなどにしてみれば、パソコンと違って表示は遅いし、別ウインドウが立ち上がることもないし、ページやサイト間の移動がイライラするくらいにもどかしい携帯電話を使って、検索をしたり比較をしたりしながら買い物をするということはおよそ信じられない。

 携帯サイトでは単品購入が多いことからも使い勝手は決してよくないということはわかるが、いつも手元にあり、どんな場所でも気軽にアクセスできる「携帯」という特性が、今の若い世代にはもう「カラダの一部」「生活の必需品」となっているということのようだ。わたしには到底信じられないのだが、あの携帯の小さな画像だけで100数十万円もする車を購入してしまう人もいるらしい。

 今回の会社も以前にお話を聴いた別の会社も、携帯でのショッピングサイトに強い会社とは社風というか社の雰囲気には大きな違いがある。スピード感も違う。今後、そんな会社と一緒に仕事をする場面もあるかもしれない。

■1月20日

 ことしに入ってからはじめての週5日勤務。新しい年とともに動き出している案件がかたちとなってきている。今のグループに移ってきて4ヶ月目、ようやくじぶんの色が出せるようになってきたかなという感じ。グループマネジメントもすべてを掌握する立場となった。

 責任を負う立場になったことに身が引き締まる思いと同時にうれしさも感じる。ただ、あたらしい会計基準による中間決算を迎えるにあたって、あまり得意でない(と言っていてはいけないが)計数管理もしなくてはいけない。これはメンバーの中で得意とする(と思われる)Mさんに手伝ってもらうことにした。「伊藤さん、これって丸投げってことですよ」ってやんわり釘を刺されたが、申し訳ないって苦笑いで返すしかない。

■1月27日

 お給料日あとの金曜日、深夜0時すぎの山手線は超満員。渋谷ですでにいっぱいの状態の車内には、原宿で待つすべての人はとても乗り込めない。わたしはなんとか乗り込んだものの、東京にきて7ヶ月目、はじめて「積み残し」というのを経験した。このあとまだ最終までは時間はあるとはいえ、次もそのまた次も満員だったらどうするの?という感じ。酔客も多いがわたしは仕事帰り。でも、恨み言を言うつもりはない。

 本日の仕事もまさにそんな感じ。じぶんのキャパシティがいっぱいいっぱいで「積み残した」こともあったし、ミーティングが5つというどうにも身動きとれない状況の中で物理的に時間がとれず「積み残した」ものもある。本日は、じぶんの至らなさを思いきり感じた一日だった。だからといって「逃げ」を打つつもりはない。きょう積み残した分はあした埋め合わせをするつもり。

 またまた帰りが遅い日々がつづきはじめた。もっともわたしの「仕事が遅い」結果ともいえるのだが、突然飛び込んでくる想定外の用件もある。

 いやぁ、それにしても人を使うのってむつかしい。じぶんでやりきったほうがどれだけ楽であり、クレームや改善要望に柔軟に対応できるのかなと思う次第。とはいっても、個人店舗とは違うし・・・と、本日もジレンマに陥る。

■1月30日

 今夜はうちのグループの送別会。総勢10人のチームから2人が抜けることになった。当面人員の追加はなし。8人が一丸となって推進していくしかない。そんな時、わたしが担当して進めてきていた事業にちょっとしたトラブル発生。チームメンバーには情報のシェアの徹底と、ダブルチェックを求めていたのに、じぶんがそれを怠ったためという面もある。運用でカバーできるので、深刻なトラブルではなかったけれど、思い切り反省。

 めざましテレビの星占いでは、ほんとうは「運気最高」だったはず。ラッキーポイントの「カラージーンズ」も身につけてきていたのに・・・。まぁ、じぶんが蒔いたタネだからしかたない。

 夜はその退職メンバーの送別会。同じディビジョンの他のチームと合同ということで30名近い大宴会。女性が多い職場なので華やかな(かしましいとも言う)雰囲気。数少ない男性陣は一角にかたまって、女子高との合コンは実現したもののうまく溶けこめなかった男子高生という趣き。週がはじまったばかりの月曜日というのに、ついつい「ノリ」でカラオケの二次会へ。帰宅は3時。忘年会の時のようにまた会社で泊まっても・・・と思わないでもなかったが、本日はタクシーを止めた。とりあえず仕事に影響を及ぼすことは回避できそう。

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